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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)5185号 判決 1973年3月26日

被告 株式会社富士銀行

理由

一  昭和四六年四月一七日、被告銀行高崎支店に対し、渡辺明美名義の二〇〇万円の普通預金(口座番号三一一―八〇六九四)のなされたことは当事者間に争いがない。

そこで、この預金が原告のものであるかどうかについて検討する。《証拠》を総合すれば、次の各事実が認められる。

(1)  本件預金をするために前記支店に赴いたのは原告と当時原告の夫であつた訴外渡辺克己(以下単に克己という)である。預金申込書に必要事項を記入したのは克己であるがこれは同人がこのような手続に慣れていたためであり、原告自身も自己の印鑑を自分で押捺した。

(2)  この原資は、原告が訴外日本勧業信用組合目黒支店に一年定期として預金していた原告名義の一〇〇万円と、長女明美名義の五〇万円を担保にして、昭和四六年四月一四日に同組合から原告が借入れた一四九万円余と、訴外大和銀行金町支店から同じく原告名義の五〇万円の定期預金を担保として同月一六日に原告が借入れた四九万円余とがその大部分となつている。

(3)  右借入の担保に供された三つの定期預金は、原告が結婚前学校教員をしていた時の収入、結婚後、克己の個人事業の手伝をして毎月支給されていた二万円づつの手当、昭和三二年に右が法人組織になつてからの毎月三万円(但し、昭和四〇年以降は毎月五万円)づつの手当、これらの殆んどを「へそくり」にして貯蓄していたものの一部である。一口分だけ長女明美の名義にしたのは、非課税貯蓄の限度額が当時一〇〇万円だけであつて、原告名義で既にこの限度額以上の貯蓄をしていたため、税金対策上そのようにしたのである。

(4)  原告方の居宅は品川区上大崎にあり、克己が代表取締役になつて経営していた訴外三共鋼鉄株式会社(以下三共鋼鉄という)も都内葛飾区にあるのに、わざわざ高崎市まで出向いて本件の預金をしたのは、原告の実弟で同市に居住し、国立高崎病院の薬剤師をしていた訴外金沢光男が、原告の持病である甲状腺肥大(バセドー氏病)の薬に通暁していたため、しばらく同人宅に寄留して療養しようとして同市に行つたからである。その間の生活費や療養費にあてるため、前記のごとき借入れをしたのであつた。

(5)  本件の預金者名義を長女の明美名義にしたのは、原告としても三共鋼鉄の経営状態が悪くなつていたことを察知していたので、もし倒産でもしたら社長夫人である原告名義の預金などは会社債権者に押えられてしまうものと考え、これを回避する目的からであつた。

以上のように認められる。これらの事実からすれば、原告が本件預金の権利者である旨の原告の主張は理由があるといわなければならない。被告が提出援用した各証拠によれば、克己の所行や三共鋼鉄の経営状態からして、不審な点や疑わしいところが数多く見られるのであるが、右の認定と結論とを左右するまでには至らないのである。

二  進んで抗弁について判断する。

抗弁2の事実、即ち、本件二〇〇万円の預金債権中、三〇万円が弁済によつて消滅したことは、原告も認めているので、この抗弁は理由がある。

抗弁の1で、被告は克己を本件預金の準占有者であると主張するのであるが、挙示の事実関係のもとではこれを肯定するのは無理であるし、他に右の主張を裏付ける事実は見出し難いので、右抗弁はこの段階で既に理由がない。

三  よつて原告の本訴請求中、被告に対し一七〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四六年六月二七日以降完済までの商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるから正当として認容するが、その余を失当として棄却することとし(なお、原告の請求中、預金債権の存在確認を求める部分は、原告自ら本訴状による解除を主張しているので、それ自体失当である)

(裁判官 小林啓二)

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